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松田正平展

展覧会

2013.08.29

絵手紙の世界では有名な正平さん。実際どんな絵をかく人なのか…。

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松田正平(1913~2004)
島根県日原生まれ。4歳の頃山口県宇部市の松田家の養子になる。
1937年 東京美術学校を卒業、翌年にパリへ留学。
1939年 第二次世界大戦の為帰国。 
1942年 国画会初入選。
1947年 宇部市の対岸に浮かぶ祝島を訪れ、「周防灘」シリーズの制作開始。
2004年 宇部市で死去

薄塗りや絵の具を何度も重ねたり削ったりする手法で、
バラや犬など身近なものをテーマに油彩画を制作した。
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まず、初期の頃(1930年代)の作品は堅実な油彩画です。東京美術学校~渡仏時代ですね。
自分の作風云々というか、まずは基本をしっかり身に付けていますよ、というかんじ。
上手いです。
1950年代になると、モチーフがデフォルメされ、画面を細かく引っ掻いたような線、はっきりとした黒の輪郭線が現れ始めます。

『山』(1955年)
…黄色と緑で画面が分断され、デフォルメされた木々がバランスよく配置されています。
こういうはっきりした画面構成好きです。

『乾魚』(1959年)、『かみきり虫』(1959年)、『鳥』(1960年)
…私たちが思う、「松田正平」っぽさがでてる作品。白く塗られた背景の中、
モチーフだけ彩色されています。『かみきり虫』はひっくり返された構図。
…死んでいる
のか? ここでの画面の「白」は、何も描かれていない余白の白というわけではなく、何か「あった」後、上に白を「塗り重ねられてしまった」後の白。塗り重ねられる前が気になる…←マチェール(画肌)が充実しているという事ですね。

そして黒々とした輪郭線。
背景の白が展示室の壁の白とも相まって、さらにこの輪郭線だけを浮き出させます。
これがあることで「平面さ」が強調され、画としての強さを放っています。

1970年代ではもう一つの「松田正平らしい」作品たちが出てきます。
あの油絵にも関わらず、透明感を持った作品たちです。
『笛吹き』(1983年)や『自画像(Mの肖像)』(1986年)などです。
明るいパステル調の色彩で、厚塗りしたり削ったり、薄塗したり、引っ掻いたり…
と、ゴテゴテと絵はだは充実しているのに軽やかな印象を受けます。
うーん、さわやか!

これとは別に『月と犬と裸婦』(1978年)。
唯一の ??? です。
画面の中にあるのは裸婦と犬と月だけ。
裸婦が画面下に仰向けで描かれ、その上に犬、左上にほぼ満月の月です。
画面下半分の背景は薄いベージュに塗られており、まるで砂漠のよう。
裸婦はなぜか青緑の上から白塗り。まるで生気を感じません。

え、もしかして…死体??
でも顔は笑っているようだから…砂漠で寝転ぶセレブか??

犬はつぶらな瞳で右を見据え、下(目の前?)にいる裸婦はまるで無視だし。
月もそんなことは気にせず私はいつも夜空にいますよ、のスタンスだし。
モチーフ同士の関係性が一切わからないので不思議な違和感だけが残りました。
…図録によるとアンリ・ルソーの「眠れるジプシー女」からきてるとのこと。
…なるほどそう言われれば神秘感と物悲しい感じは通じています。

部屋を移り、第二展示室では『周防灘』シリーズが待っていました。
画面は白で覆われているものが多いです。
ただ、白といっても、白に微妙に別の色彩が混ざりあっており、 それぞれがニュアンスが違う白なのです。
ニュアンス白の画面にポイントとなる2~4色を置いて、黒でサッと(時にはしっかりと)かかれています。
色数限っているのにこの絶妙な白の階調、マチェールがあるから、スカスカとかしょぼいとかならず、充実した画面になるのですね。

松田正平展

2013年6月8日〜9月1日

神奈川県立近代美術館 鎌倉

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