絵手紙ラボ・年賀状〜暑中見舞いまで。色々な道具で手書きを楽しもう!

「フランシス・ベーコン」展

展覧会

2013.04.11

東京国立近代美術館で開催されている「フランシス・ベーコン展」に行ってきました。
しょっぱなから、らしさ全開の『人物像習作Ⅱ』
叫び系ですが顔は半分しかなく、室内なのに紺の傘、本来頭がある場所には黒っぽい空気層。
裸の人物にはジャケットが被され、人物の手前には観葉植物が置かれ、覗き見ている気持ちにさせます。
毒々しいまでのオレンジの背景色がまたいやったらしい。

人物は生への執着が感じられるが、だれも助けられない。 私たちはただこの人物が堕ちていくのを見ているしかない。

死や悲しみなどの負の魅力に取り憑かれたベーコンが、それを私たちに思い起こさせ、絵の前で固まらせてしまう。

なんなんだこの悲壮感は!すごいよベーコン!

まずは教皇シリーズ。暗い背景の中に黄金の椅子に座った顔を歪められた教皇様。 画面の中にまた枠があり、ポイントとなる部分にだけにされ、さらに透視図的な線が引かれています。
縦に走る明るい筆致の後が、漫画とかの「ガーン😨」を思い起こさせます。

この顔を歪めさせるのって、動きを出したいからだよね?

色数を絞って、ボカシやグラデーションに頼ることなく筆致を残しながらのこの所行…
確かな技術力を見せつけてくれます。

あの透けてる人物像って、描いてないのになんであんなに存在感があるのだろう?
『スフィンクスの習作』は黒・赤・オーカー・白だけで、構図がまた逸品。てかこの空間て何なの?

圧倒的な存在感。ただ「そこにいる」だけ。

「生命を記録しようと思うなら、かなり凝縮させ省略した描き方をしなくてはなりません。(略)エジプト文明の彫刻のようなリアリティへと至る単純化が必要なんです。」

人間の表面組織の内側、神経細胞から滲みでる「暗」の感情。 それを突きつけられることで逆に「今生きている」と実感させられる。

「偉大な芸術は人間の置かれている状態がいかに脆いかをきちんと思い出させてくれます。(略)結局人間の身体はある意味でフィルターなんです。ほかの特性ももっていますけれどね。」

さて、ベーコンといえば三幅対(トリプティック)です。
ここら辺からは以前のただならぬ悲壮感は薄れていき、どういう事よ??と思わせる作品が 続いていきます。
(尤も、ベーコンは登場人物がそれに従属してしまう、自由を失ってしまうから、ストーリーが生まれる事をさけようとしたのですが。)

ラベンダー色の背景一色の中に綱渡り的な、床と壁の境目で何かしている人物の三習作だったり、ある場面を様々な角度、視点から切り取った三習作であったり。
円形の柵の中に瓶の栓抜きみたいなものの上に人物が腰掛けていたり。 

????

筋肉隆々の男性のポーズが異様すぎたり、(ロダンの彫刻っぽい)
一部が溶け出していたり、透けていたり、黒いモヤ(悲しみや死かな?)がかかっていたり…
…意味ワカラン??ですがその全てが効果的に見ている人の内を揺さぶります。

「近代化、現代化の中で失われてしまった時間の流れや空間のあり方を回復させようとすると、その時人間はなぜか怪物のような存在になってしまう。」
(現代化によって人間本来の生活を続けようとすると、そっちの方がもはや異様→怪物ってこと?)

展示では、A/B 、A⇔B、行ったり来たり、という表現をしていました。
ex)聖/俗、あちら側/こちら側 などベーコンは「抽象⇔具象」「生⇔死」。

決して美しくはないです。見ていて寧ろ不快→通り越して驚愕って感じです。
やっぱり芸術はこうでないと。価値ある展覧会でした。

「フランシス・ベーコン」展

2013年3月8日〜5月26日

東京国立近代美術館

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