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ジャン・フォートリエ展

展覧会レポート

2014.07.20

東京駅丸の内駅舎内にある東京ステーションギャラリーに、ジャン・フォートリエ展を見に行ってきました。
「アンフォルメル」の先駆者であるフォートリエ。
マチエールが特徴的な「人質」が有名です。
単純な線と色だけで、感情を揺さぶる表現が素晴らしいです。

そもそもアンフォルメルとは‥
・「非定形な」とかの意。
批評家ミシェル・タピエが1951年にパリで組織した「激情の対決」展を 最初のデモンストレーションとする、50年代フランスの抽象絵画の一傾向を指す言葉。
・謎めいた省略により、絶えず変容するもの。
・曖昧さを突き詰めたもの、またはその手前。
・抽象→本質を抽出し、再構成する分析的なもの、  アンフォルメル→形質が先であり、中身は暗示させるのみ。
・現実との繋がりがなければダメ。
・単純な感動では満足しない時代によって生まれた。
(何が描かれているのか、見る人が発見して、感動する)
・説明しない、明確に表現されない、暗示するだけ。
(展覧会パネル、映像より)
印象派の曖昧な画面に、謎(や陰の要素)をプラスしたようなもの?

1 レアリスムから厚塗りへ

初期の作品は具象画です。
20世紀前半の西洋芸術のキーワードの一つは「プリミティヴィスム」。
原始美術ないし非西洋圏の芸術からの影響のことで、ピカソやマティスも影響を受けています。
フォートリエは「好きなのは自分の絵だけ」と言っていますが、初期の「黒の時代」ではウィリアム・ターナーと、アンドレ・ドランの黒人芸術の影響を受けています。
「黒の時代」の裸婦はまるでハニワ。彫刻もシャーマニズムを感じます。

pick up
『管理人の肖像』‥フランシスベーコンみたいな不気味さが漂ってます。
『黒い花』‥削った輪郭線が暗い画面のアクセントとして効果的。

2 厚塗りから「人質」へ

これでもかという充実したマチエールがフォートリエの魅力でもあります。
『人質』で主に使われているのはライトブルー、白、イエローオーカー、紫、と配色自体は至ってさわやか。
一方マチエールはこの禍々しさ。
色のはみ出し、筆致の軽やかさ⇔絵肌の重さ。
単純な線と色で、感情を揺さぶる表現。
この対比が気味さを増長させ、恐ろしいだけじゃない、不思議な魅力を醸し出しています。

この展示では、建物の赤レンガの壁を生かした展示がされています。
照度が抑えられた展示室の中に浮き上がる『人質の頭部』はまるで牢屋にいるかのよう。

『人質の頭部』の作品群のタイトルは皆同じであり、番号が違うのみです。
描かれた人物は拷問を受け、片方の目や鼻、口などを失い、区別のつかない匿名の存在として象徴化されています。
彼はここで、斬新な厚塗りの歴史画を生み出したのです。

pick up
『空のグラス』‥がっつりと厚塗りした上に濃紫、そこにナイフでひっかいた輪郭線で、グラスが表現されています。
グラスをかくのに、普通はこんな方法はとりませんが、ここでは ガラスの鋭利さ、透明感、堅さなどが、見事に表現されています。
『雨』‥雨雲のような厚塗り材の上にモスグリーン、その上からナイフで斜めに削りとられています。
要素はそれだけなのに、確かに「雨」。いや、もう雨にしか見えない。
ほんとに、ハイセンス揃いです。

3 第二次世界大戦

最後にある『怒り狂う者フォートリエ』の映像がすごくいいです。
登場する動くフォートリエは、ヒョウ柄のストールをまとったイカしたおじさん。
中世的で神経質そうな印象を受けます。
フォートリエの作品、アンフォルメルについて対談しています。
アンフォルメルと抽象との関係も分かりやすく説明してくれています。

映像からのメモ
・芸術は新規さの誕生ではなく、一つの移行に過ぎない。
・技法の独自性など、絵画にとって重要ではない。
・アンフォルメルは自由に表現する現実を据える為の罠である。
・ジャズを好んだ優れたダンサーでもあったが、制作の際は絶対的な静寂を求めた。

決して上手とかではありません。しかし一度見たら忘れられない。
題材自体をより連想させる抽象化した表現。
作品の根底に見え隠れするのに、けしてはっきりとはさせない本質。
見る者が、自分から掴みにいかなければ、何も分からないが、
少しでも謎解きができるとそのまま引き込まれていきます。
それがアンフォルメルの魅力です。

ジャン・フォートリエ
1898年  パリで生まれる
1907年  イギリスに移住する
1912年  美術館に通うようになる。
      とりわけジョゼフ・マロード、ウィリアム・ターナーに魅了される。
1917年  フランスに戻り、軍の補助部隊に入る。前線でガス中毒になる。
1922年  モンマルトルに居を構える。
1924年  ヴィスティコンティ画廊で最初の個展。サンギーヌ(赤色顔料)が注目される。
  *サンギーヌ‥一般的には彫刻家のデッサンとして、とりわけ裸体像を 描くために用いられるもの。20世紀にはほとんど使われなくなっていた。

1927年  ポール・ギヨームと独占契約を結ぶ。彫刻作品を制作を開始する。
1928年  個展に「黒の時代」の作品を出品する。
1930年  リトグラフ集出版が取りやめになり、落胆する。作品をほとんど制作しなくなる。
ー1932年
1934年  パリを離れ、スキーのインストラクター、ホテル兼ナイトクラブの支配人になる。
ー1940年
1939年   戦争が始まる
1943年  ドイツの秘密国家警察(ゲシュタポ)に逮捕され、数日間拘束される。 逃げ出したが、       すぐ近くのフレーヌ監獄でドイツ軍によるフランス人レジスタンスの処刑が起こる。
1943年  後に「人質」の連作となる作品の制作を続ける。
1945年  シャトネ=マラブリーに居を構え、生涯この地に留まる。
ー1946年 ジャン・ポーランが「怒り狂う者、フォートリエ」を発表。
1957年  ニューヨークで個展
1958年  イタリア、スイス、イギリス、ドイツで個展
1959年  東京の南画廊で個展。来日する。
1964年  癌によりシャトネ=マラブリーで死去

ジャン・フォートリエ展

東京ステーションギャラリー

2014年5月24日(土)~7月13日(日)

観覧料 1,100円(一般当日)

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