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アンディ・ウォーホル展 永遠の15分

展覧会レポート

2014.02.28

森美術館で開催中のアンディ・ウォーホル展へ行ってきました。
この展覧会はアジア5大会場(東京、シンガポール、香港、上海、北京)の巡回の中の最後でした。
アンディ・ウォーホル‥
彼を抜きしてアートは語れないと言われているだけある、すごい人でした。

第1章 アンディ・ウォーホルのポートレイト:ウォーホルとは何者なのか?

主に写真でのウォーホルの紹介です。

第2章 商業デザイナーとしての成功

ウォーホルは大学で絵画デザイン科を学び、卒業後はニューヨークに移住し、商業デザイナーとして成功します。
この時、ペンでイメージを描き、別の紙を押しあててインクを転写する「ブロッテド・ライン(しみつきの線)」と呼ばれる技法を多様しています。その他にも、コラージュやゴム印を使用したスケッチもあります。

第3章 1960年代:「アーティスト」への転身

キャンベルスープ缶の絵画、既存イメージをシルクスクリーンでキャンバスに転写する技法で「スターの肖像画」「死と惨事」「花」のシリーズが発表されていきます。

彼は新聞の写真など、気になったものをシルクスクリーンでキャンバスに転写しています。
キャンベルスープの缶を平面的にかくアイデアは、友人から50ドルで買い取ったものだそうです。

他人が映し出した写真、他人のアイデア‥
才能でもって独自で作品を苦しんで生み出していく、という従来の芸術家とは異なります。

私はマリリン・モンロー、ケネディ大統領暗殺、などの時代には生まれていませんでしたが、何となくその事件を知っています。それは、ウォーホルが『マリリン』や『ジャッキー』などの作品群を残した影響も強いと思います。
国家悲劇が作品として何度も繰り返し消費される。→結果的に印象に残る。

そして、作品は時に「事実」よりも「本質」を映し出します。

そのまま見せるより、芸術家が正しくモノゴトの本質を理解し、解釈したものを提示された方が、胸に迫るものがある。
ピカソも「ゲルニカ」で戦争の悲惨さを「写実画」ではなく「抽象画」で表現しました。
ウォーホルの目を通して解釈された(特異な配色や表現そのもの)「肖像画」たちは、ただの「写真」より強く訴えかけてきます。

そして、それを可能にした、ずば抜けた色彩感覚。
色の持つ共感覚、色面の割合、隣接する色同士のバランス‥
あんなに奇抜な色を組み合わせているのに、ちゃんとレベルの高い所で釣り合っています。
この配色センスはすごすぎです。


彼の生きた時代のアメリカは、「商業主義」と「大量消費」の時代。 民藝運動などは、それらに対して警鐘を鳴らした。
アンディ・ウォーホルはそれらに合わせた消費されるアートを創り出した。

正反対の方向性ですよね。

第4章 シルバー・ファクトリー

彼は自身のスタジオを「ファクトリー」と呼んでいました。
ここは、アンダーグラウンド・カルチャーの拠点として美術館関係者はもちろん、ダンサー、ミュージシャンたちの交流の場としての役割も果たしました。この時代に撮影された映像や写真の展示です。

第5章 1970ー80年代Ⅰ:ビジネス・アートとセレブリティ

1968年、ウォーホルはファクトリーに出入りしていたフェミニズム活動家に銃撃され、重傷を負います。
その後は「ビジネス・アートは芸術の次にくる段階だ」と予期し、スタジオを移転、「ファクトリー」ではなく「オフィス」と呼び、セレブティの注文肖像画を数多く手がけます。
(注文肖像画の価格は、1m四方のパネル1点25,000ドル、2点30,000ドルだったらしい)
毛沢東、アレキサンダー大王、坂本龍一の肖像画などがあります。
やはり配色バランスに脱帽です

第6章 1970ー80年代Ⅱ:多様化と反復

銅の顔料の上に放尿することによって制作された「酸化絵画」。
子供向けの「玩具の絵画」。(これも配色素敵です)
野生動物保護団体に寄付した「絶滅危惧種」。
進化するウォーホルです。

第7章 実験映画とヴィデオ

エンパイア・ステート・ビルを定点撮影したものや、極端に時間をかけてマッシュルームひとつ食べる作品などが上映されています。

第8章 タイム・カプセル

ウォーホルはものを捨てるのが苦手だったようで、「タイム・カプセル」と名付けたダンボール600箱以上に及ぶあらゆるものを保存していました。
手紙、雑誌、招待状‥
その中から約300点を展示しています。
時代ごとに彼の興味を示したものを覗き見できるのは、彼の思考に触れることができてとても楽しいです。
最近の、スターのゴミ袋の中身を並べて写真に収める、というのに似ていますね。

最後に彼の紹介ビデオが上映されています。
この中にあった『カモフラージュ』という最後の晩餐を迷彩柄で覆ったものも、考えさせられます。

ウォーホル語録

所々のパネルにかかれてある語録もアートに対する一般概念を覆してきます。

『なぜオリジナルである必要があるのだろうか?人と同じじゃいけないのかい?』

『ぼくは誰もが機械であるべきだと思う。
ファクトリーでぼくらは空っぽになれるんだ。そこが素晴らしい。
ぼくは空っぽになるのが好きだ、そして作品を作るのさ。』

『ぼくは絵について考えた時点で、何かが間違っているのだと思う。
絵の大きさというのは考え方の一つであって、
色もそうだ。ぼくの絵に対する本能は
「考えないのが正しい」というもの。
決めたり選んだりしなければならなくなると、もう間違っているんだ。』

『自分ではいつも独創的だと思っていたけど、そんなもの誰も相手にしてくれない。
…その時からぼくは想像力を働かせたりするのはよそうと心に決めた。』

『ぼくは同じイメージを繰り返し描くようになった。
繰り返し描くと、違ったものに変わっていく。
その変わり方が好きだからだ。』

『アーティストが特別な仕事だなんて何でみんな思うんだろう。』
『芸術なんてその場で何とかなるもんだ。』

『ぼくの映画はどれもつくりものだ。
まぁ、言ってしまえば完全に自然なものなんてないんだけどね。』

ウォーホルの言葉は、今までの「個性を重視する」とか「芸術家は特殊な人々」というアートへのイメージの逆をいってます。

アートなんて簡単だよ、というスタンスで言ってますが、それであんな整った作品たちが生まれますか…?
何も考えない、といっても、私たちは無意識のうちに美意識が蓄積されているし…
そしてやっぱり「自然なものなんてない」と認めている。。

やっとウォーホルを捕まえたと思ったら既に次のレベルに進化していて、先に行ったと思ったら戻って反復してたり…
多様すぎて結局は彼のことはわからない。
そして私たちはそれを追いかける…

アンディ・ウォーホル展 永遠の15分

森美術館

2014年2月1日〜5月6日

入館料 一般 1500円

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