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黒田辰秋の世界 目利きと匠の邂逅展

展覧会レポート

2014.02.24

横浜にあるそごう美術館へ「黒田辰秋の世界 目利きと匠の邂逅」を見に行ってきました。
また、会場で開催された、山下裕二氏(明治学院大学教授)&尾久彰三氏(元民藝館学芸部長)のスペシャル対談「対談 黒田辰秋は民藝の作家なのか?」も拝聴してきました。
黒田辰秋は当時の漆芸界の分業制に疑問も持ち、木地から仕上げまでの一貫制作を独学で始めた木工芸人です。
昭和40年には宮内庁から新宮殿の家具の依頼を受け、見事に応え、1970年には人間国宝にも指定されました。
初期の頃は民藝運動の祖である柳宗悦の思想に同調し、柳が奨める李氏朝鮮時代の模倣品を制作しながら腕を上げていきます。

柳宗悦が民藝美術館設立趣意書を発刊したのが1926年。
それを実現するため、翌年に河井寛次郎、黒田辰秋、青田五良らと共に上賀茂教団が設立され、共同生活がスタートしますが、これはわずか2年で破綻します。
工業化が進み、それらが使い捨てされる時代。
安価で使用できるものがあればそれでいい‥
人々がそう思い、粗悪品がはやるのも当然です。
事実、鍵善良房(京都の菓子屋)で黒田辰秋に店舗の調度品を頼んだ際の請求額が家一軒分で驚いた、という話が残っている位です。民衆が家具にそれだけの大金を払えるはずもありません。
一方で、人々がそんな下級品に囲まれていては、どんどん日本人の美意識が低下してしまう、と柳さんは心配します。

***

ここで、柳宗悦が提唱する民藝について、1933年に発行された『民藝の趣旨』をから整理してみます。
(2006年に日本民芸館より底本されて発行されています。)

民藝には二つの性質がある。

第一は実用品である事。(贅沢な高価な僅かしか出来ないものは民藝品とはならない)
第二は普通品である事。(作者は著名な個人ではなく、無名の職人達)

言い換えれば、民衆の生活になくてはならぬもの、普段使いの品、沢山できる器、買い易い値段のもの。
狭義に規定すると、用の目的に誠実である事がその本質。
(工場製品は、利が眼目であるため、用が虐げられている。)
(雅物は、趣味の犠牲に堕したものが多く、無用な飾りや単なる思いつきの為に、用は二の次になっている。)
従って、民藝品と呼ばれる為には、用途を誠実に考えた健全なものでなければならない。
民藝の美は用途への誠実から湧いてくるもの。

民藝品の徳性‥吾々の日常の最もいい伴侶たらんとするもの。
使いよく便宜なもの、使ってみて頼りになる真実なもの、共に暮らしてみて落ち着くもの、使えば使う程親しさのでるもの。

民藝品の特色
自然なもの、素直なもの、簡素なもの、丈夫なもの、安全なもの。

民藝の必要性
私たちは今迄美しさへの見方を、見る側から養ってきました。
(絵画とか彫刻とか、所謂美術と呼ばれるもの)
同じ工芸でも用途から寧ろ遠い工芸美術、即ち見る工芸を尊んできました。
ですが結果、吾々の美意識に著しい堕落が来ました。
なぜなら美しさと生活とがそこで隔離されていったからです。
用いる時程、生活で美を味わう場合はなく、従ってその時以上に、美に親しむ場合はないからです。

‥もっともでございます。

***

柳宗悦と黒田辰秋は徐々に疎遠になってきます。
作者の無名性を提唱した柳さんと、作者個人としての成功を求めた黒田さん。
理想主義の柳さんと、現実主義の黒田さん。
柳さんの言っていることは正しいし、納得する部分が大半ですが、実際にそれを実現するのは経済上苦しい。だって、柳さんのいう「民藝品」をつくるためには時間もかかるし、お金もかかる。
それを「買い易い値段で」提供してたら、職人はどうやって生活するの?
それに、生まれたからには、個人として成功したいと願うのは当然の事です。
だから黒田さんも正しい。

黒田さんは柳さんの提唱する二つの性質以外の所では、柳さんがいう「民藝品」の条件を満たした作品を創り続けました。
そして柳さんも、思想は決裂しても、生涯黒田さんの作品は良いものだと評価し続けたそうです。
途中で方向は違えましたが、本物を知る同士の関係。
なんか素敵ですね。

今回の対談では人間同士の交錯する関係性もお聞きすることができ、彼らの人間味を感じることができてとても楽しかったです。

さて、黒田辰秋のファンは著名人が多く、今回はその人物別に展示されていて、興味深いです。
黒澤明、河井寛次郎、川端康成、白洲正子、武者小路実篤etc‥錚々たる顔ぶれです。
黒澤明は別荘の家具一式を注文、別荘が火事の際には、家具だけ窓から投げたという噂まであります。

対談の先生方は、「重厚感とシャープさ、どちらも兼ね備えているのが黒田作品。」
と評しておりました。
私はそれにプラスして、「場所を選ばない」というのも黒田作品のよさだと感じました。
場所を選ばない=それが「完成」されている証拠。
それ一つで完結しているのです。
和室はもちろん、都会の高層ビルのガラス張りの前にあっても、ヨーロッパの田舎町にあっても、森の木々の中でも映えるように思われます。

特に『白檀漆四稜茶器』は素晴らしいです。
和であってモダン。
周りの空気を制する気品。
*参考http://www.kurodatoen.co.jp/josetsu-tatsuaki/007_cyakii_byakudan.html
また、『拭漆欅葡萄杢器局』などに見られる木目の美しさといったら!
木目といったら、年輪の輪や、桐の平行線のイメージがありますが、黒田作品は違います。
幾何学的にも見えるマーブル状の美しい木目を見せてくれます。
本当に木材、漆を知り尽くした人だったのだと感服させられます。

***

二つの論点

人間は生きている限り、「生活」しなければならず、そのためには日用品が必要です。
それらを自分のお気に入りのものにする‥これは心の充足へ繋がります。
しかし実際問題、私みたいな庶民がこれらを購入するのは不可能です。
それではどうすれば民藝品を守っていけるのか‥?

柳さんは前述の『民藝の趣旨』の中で、地方で、生活の中に取り入れる事がよい、と言っています。
手の空いたときに編み物をしたり、パッチワークをするような事、という意味でしょうか??
(古語を正確には掴めないので自信がない)

私は学生時代に岩手の伝統工芸である岩屋堂箪笥のデザインをしたことがあります。
その頃から工芸品の立ち位置は難しいな、と感じていました。
現代は民藝運動が流行った当時と異なり、それなりの質の工業製品が流通しています。
一般庶民がそれらを買わずに高い工芸品を買う、という判断をするでしょうか‥?

その時は機能性を重視した化粧台をデザインしました。
出来上がりは抜群でしたが、若い人はまず買えない金額だし、今時嫁入り道具として親が買うという文化は存在するのか‥?
職人さんたちの技術はほんとに素晴らしいのです。

・「よいものを使う時に感じる心の充足感」を訴えていく。
・「使うほど味が出る」長持ちするから、結果的にはお得です、という経済戦略
くらいしか私の微々たる頭では考えつきません‥

現状は余裕のある人々が保護し、一般人には展覧会などで美意識を向上させ、彼らが裕福になった時にこれらを注文してもらう、という方法しかないのでしょうか‥
難しい問題ですね。

もう一つ。
「日本らしい」とは何なのかを考えさせられました。
宮内庁の依頼を受けて制作された『朱溜栗小椅子』。
黒田さんは日本を出て、椅子の取材旅行へ出かけます。

私はこれを見た時、「北欧家具っぽいな」とか「朝鮮っぽいな」と感じました。
*参考 ハンス・J・ウェグナー Yチェア http://www.sempre.jp/brand/wegner-y-chair/

本来日本は、椅子などを使わず正座や胡座という坐法で生活してきた民族。
「椅子」で「日本らしさ」というテーマ自体が難しい。
日本らしい椅子って、正座の補助椅子とか、座椅子になるのでしょうか。
そもそも「日本らしい」っていつの時代?
弥生?平安?江戸?昭和???

北欧家具はよく「機能美」と言われています。
「機能美」=「用の美」。
民藝の理論で制作されているということで、そこが「似ている」のは当然。
結局「人類」にとっての「用の美」は世界共通である、ということであり、
そこに文化的な側面を求めること自体間違い、ということでしょうか。

購入品。分かりやすくてよい本でした。

例え方なども的確で、柳宗悦の非凡さを感じます。

黒田辰秋の世界 目利きと匠の邂逅

そごう美術館(横浜)

2014年2月1日~3月10日

入館料 一般 1000円
スペシャル対談 別途500円

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